2012年8月24日金曜日

2012, summer フィリピンへのstudy tour (後半)

 ツアー後半というか最終日のことを話したいと思います。

 Cebu Task Force for Children(以下、CTF) という団体が、あります。

 ストリートチルドレンといっても、大きくある程度に大別され。


 ①親はいる。ある程度の生活はできていて、親の指示で、観光客から物乞いをしたり、あるいはものを売ろうと路上でしている子供達。

 ②親はいるにはいるが、経済的能力がほぼない。子供達は、それが仕事であるかのように、物乞いを、仕事としてしている。中には家庭環境が悪く、現実に家に帰れない、家族が機能していない子供もいる。また、このタイプの子供達の親も当然ながら、同じように物乞いをして生活をしてきた。教育は受けておらずに、識字能力はない。また、自分たちの子供が学校に行く必要性も自分たちが学校に行っていないために理解していない親もいる。

 ③リアルに、放っておくと、死んでしまう、なんの頼りも近くにない子供達。


 CTFは、学校に行けない子供達が住む貧困地域にバスで出向きピックアップして広場へ連れて行って、そこで、簡易の椅子を出して、英語であったり、歌であったり、絵を描いたり、倫理観を学んだりといった教育を行っている。 まさに動く学校。ということで、mobile schoolを実践している。



以前はこのmobile schoolの様子を見学させて頂いて色々とお話をお伺いする機会を持っていたのですが、


今回はちょうど、期間が向こうでの祝日であったので

mobile schoolはお休み。

ということですが、スタッフが休みを返上して


それならば、mobile schoolに通う

子供達が 住む、communityに実際に連れて行ってくださることになったのでした。


僕やハラッチも初めて。もちろん参加されるメンバーも初めて。


スタッフから、行く前に、ストリートチルドレンの現状の説明を聞いていたのですが、少し耳を疑う言葉が。というか、自分が知らなかっただけなのですが。





 Some of the poor families are living in the cemeteries, and the children started working there to earn the money, washing the graves at the particular time of a year.  

 だったろうと思います。

ある貧しい家族は、共同墓地に住んでいて、ある時期にはお墓を洗ったりしてお金を稼いでいるんです。

 ぐらいの意味で。 cemetery が共同墓地という意味で。

 ただ、墓地の中に住む

 ということの想像が全くできず。一体どういうことだろうかと思って。正直、それはあり得ない!と思って、cemeteryとは違う、別の自分が知らない単語なのやろうと思って、こっそり、後で実は確認をしたんです。

 それぐらい、想像がつかなかった。


 みんなでその共同墓地のcommunityに向かったのでした。

 一口に共同墓地と言っても、貧しいクラスから、中流、上流で、その墓地の綺麗さにはやはり差があるようですが、僕たちが行ったのは貧しい共同墓地。

 当然ながら、向こうのポリシーによって写真の撮影の許可は出ていません。

(が、ネット上で、マニラの現状が写されたある写真家の方が取られたものがUPされていたので、ところどころそれを載せたいと思います)


 たっくさんの子供達がそこにはいました。


 お墓は。


 例えるなら、なんかこうカプセルホテルのように何段も重ねられたボックスが、ずーっと両サイドに並んでいる状態。







こんな感じです。


あるいは、↑のような。 実際は、僕たちはこういうのは見ませんでしたが、(奥にあったのかもしれないけれど)バスケをしている子供達の奥に見えるのはボックス上に積みが得られたお墓。その上に、屋根を貼付けて、掘建て小屋みたいな家屋が住まいになっているのか。







↑の子供が乗っかっているカートのようなものは遺体を運ぶものなのかもしれません。

こういうカプセルホテルのような形状とは別に


↑こんなに綺麗ではないけれど、もっと低くて地面に、汚い状態の墓石が何個も横たわっているスペースがあって、そこをベッド代わりに生活している人も多いそうと聞き、言葉を失い‥‥


先ほどの、カプセルホテルの中の遺体というのは、大体、約5年かそれ以上経つと、奥の方の場所に一カ所に集められる。そこで、焼かれて、一緒に埋葬されるそうで。

その場所も見ました。


おそらく遺体を焼くであろう、長方形上のちょうど、2つ上の、2人の男の子がまたがっているようなカート状のボックスみたいなものが無造作においてあって。

 その周りを無邪気に子供達が走り回っている。

 衛生状況‥ 当然、よくないだろう


 というか、そういうレベルのことを超えて


 なんか言いようもなく泣けてきてしまった。呆然とした。

 そうかあ。



 ここで住んでいるんだねって。


 何も知らない子供達にとっては。ここは、ただの生活の場所であって。


 お墓は風景の一部に過ぎないのでしょうが。



 僕を含めて 参加者の皆さん  ハラッチにとっても 


 相当に強烈な光景で。


 実は正直言うと未だに、こうやってBlogを書いてはいるのだけれど

 
 そのことを消化できていない自分がいます。

 なんだったんだろう。あの光景は。


 しかし、しっかりと言語化まだできません。


 でも、そういう自分を客観的に受け止めて。


 いつか目を出すであろう  


 何かしら「種」が自分の中に植えられたような気がします。


 いつか「歌」にしよう。

 そして、色んなことに繋げていこう。

 この光景を思い出す度に。


 何かこう。「おし。やらないと」と背中を押されるような。

 そう。それはすごくすごく。


 行動へ向かうエネルギーとなって現実的に、突き動かしていくRealityを持った

 エネルギー。


 でも、まだよく分かっていません。結局は。

 そういう自分がいることも含めて Blogで書こうと思いました。


 学ばされたのはこちらで。


 参加された、教えていた学生さん達には


 こちらがまた教えられましたよ。


 いつでも、僕はもらってばかりです。

 また、日を開けて、思い出して、少しずつ、色んなことを分かち合えたらと思います。

 今日はこのあたりで勘弁を。

 
 今回の一期一会なメンバーかたがた。(ブレブレ。かつ斜めな俺)