実はこの4月から、人生の活動の拠点を東京に移すことにしました。
ここに至る経緯は本当に色々とありました。ですが決意をしました。
その詳細を事細かにここで述べることはできないですけれど
ごくごく要約しつつお伝えしたいと思います♬
専任教諭への道を一旦、脇に置き
取りたいと思った資格を取る為に
もう一度大学院の社会人入試を受けたのが、はや、5年程前。
そこから様々な人生を揺さぶる出会いがあり
当初は、もう自分が歌うことはしまい、と僕は決めてたけれど
もう一度歌おうと決めました。これは自分が意図していたことではありませんでした。
そして
大阪樟蔭女子大学、近畿大学、神戸国際大学附属高等学校、大阪商業大学高等学校、清教学園高等学校、プール学院高校
と、計6校で、英語科や聖書科を通して、また軽音楽部のコーチもさせてもらう機会に預かりました。
人生を変える師との出会いがありました。
また今や親友の原裕二夫妻との出会いがあり
英会話の収益を、持続可能な支援に用いる(こんな簡単な一言ではかたづけられないのだけれど)社会企業と出会い、大学の現場でそれを紹介したい情熱に駆られて
2010年からstudy tourを3年間、関わってきました。
今年は計4つの大学、高校で非常勤講師をしながら、クワイアで歌い、自分の音楽活動を。
フィリピンへの働きに関わってきました。
そういった状況の中で30を過ぎてきたころ
自分を振り返った時に、心のどこかにモヤモヤ感がありました。
自分がこのまま関西にずっと居続けることが想像しづらくなってきたんです。
人はそれを直観と呼ぶでしょうか。
縁と呼ぶでしょうか。
神さまの導きと呼ぶでしょうか。
何であれ
自分は違うフィールド、場所で、今までの関西で築いてきた、仕事もプライベートも含めて、一旦置いて
自分が導かれていると第六感が感じるフィールドに飛び出さいといけないと感じる様になりました。 このままこの安定の中で再び、安定が人生の最優先事項になってしまってはいけないと。
僕の場合、それを個人的に神さまが導いていると信じるわけなんです。
ではありますが、ずーっと産まれてこのかた関西以外の場所に住んだことがない自分です。
そんなことないつもりでも、無意識に手放したくないものが多かったのです。
なかなか決断できずにいた時期がありました。
ですが。
残された人生の時間。最近そんなことをこれまで以上に深く考えるようになりました。
まだまだ長いようでいてでも、確実に限られた有限な時間。
どうやら人生は自分が思っている以上に長いわけではない。何もかもができるわじゃないということ。
であるならば、なおさら自分がほんまに、やらないとあかんことをやっていかなければいけない。
それを使命と呼ぶなら、やはり同じ命を使うならば、神さまから示されていると自分が信じることを素直にやっていかないといけない、とそう強く思いました。
もっと今よりも純度を高くして。
照準を絞って。定めて。
そして、自分なりに最終的に辿り着いた結論、覚悟。
副業等、自分にはない。
何か一つに絞らなければいけない、等ということもない。
むしろ、やらねばいけないのならば、どれだけ後ろ指を指され批判をする人がいようが
やらねばならない。
教師として、教え、教えられる身でもあり
シンガーとして、歌う身でもあり
NPO法人の監事の立場として、世界のたった人かけらにすぎない、でも同時に大きな事柄と向き合い
全て、自分に与えられたものとして
全力を持って伸ばし続けて行こうと決めました。
限られたことしかできないかもしれない。でも、だからこそ。
自分にとって肩書きにidentityはありません。
僕のidentityは「使命観」にあり、どれだけバカにされようが、そこからこれからも自分の人生が派生していくのだと思います。
特にSSWとして歌を発信していくことは、全部一本の線に繋がっている。
だから、もっといい歌を歌って行きたい。
先にお知らせした、2つの関西での最後のライブ、2本。
ワンマンを終えた後は、慌ただしく東京に向かいます。
言っても、そこまで離れてもいないし、またこっち(関西)でもライブはやります。
でも一区切りです。
他人に理解される為でもなく、まず自分自身に誠実であろうとした
僕なりの結論。
もっといい授業を。 もっといいツアー。
もっといい人生を。
もっといいシンガーになります。
もっといいシンガーになります。
もっといいライブを。
もっと良くしていこうとする、これからのいろんなものが
誰かのさらにもっといい
blessingに繋がります様に。
Kaz